宋慶齢陵園を出たあと、虹橋路を西へ少しあるいてみた。
👇早速見えてくるのが上海広播大楼。
もともと、広播大楼は外灘(バンド)建築群のひとつであり、外灘にあった。
太平洋戦争終戦後、外灘のビルは米軍が海軍憲兵機関や軍郵便局を設置し、1951年3月の上
海人民ラジオ放送局がそのビルに引っ越したことから、その後数十年間、上海人は北京東路
2号から聞こえてくる音に慣れ親しんだ。 放送局が1996年10月に虹橋路の写真の新しいビル
に引っ越すまで、外灘にあるビルを“放送ビル(広播大楼)”と呼んでいた。
引っ越し先の虹橋路にあるビルの現称は、「上海広播大楼」となっている。
虹橋地区は、さほど魅力的な街ではないと思っていたけど、いつも気にも留めていないよう
なところに、ところどころ歴史が刻まれていて面白い。
つづく。
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