備忘録。
2005年宿舎前の道路が長期間かけて大工事されていた。
住んでいたのが二階だったため、大量の砂埃が舞って大迷惑だった。
とっくに工事も終わっていると思うけど、どれくらい開発が進んでいるのだろう。
また行ってみたい気もする。
私が住んでいた頃の常州市には、日本人駐在員は300名程度いた。
日本料理屋さんも2,3軒あったかどうか。一番高級な日本食屋さんは、シャングリラホテル
系列のホテル(名前を忘れた)に入っている「西村」だった。
そこには2回行ったことがあるけど、当時の私のお給料から考えるとそれこそ
「清水の舞台から飛び降りる」気持ちだった。2回のうち1回は、常州市にある大手の
日系企業B社の董事長に連れて行ってもらった。その時食べた金目鯛の煮つけが美味しすぎ
て忘れられない。お金のない私に同情してくれ、しっかりご馳走してくださった紳士な
董事長。遠慮なくしっかり飲んで食べた私は恥知らず。その後もちょくちょくいろんな
場面でその董事長にはお世話になり、今でも頭が上がらない。
常州市内も2016年の今ではいろんなお店やデパートができていて駐在員やその家族の方たち
も少しは住みやすくなったのではないかと思う。10年前の常州は私にとってそれまでの村
とは比べ物にならないぐらい既に都会だった。
それまで住んでいた中国の村にはなかったデパート、スタバ、ハーゲンダッツに胸が躍った
ことは言うまでもないけど、それらの写真を撮っていたことでそのときの感動具合が今の
私にも伝わる。。
👇あの頃一番賑やかだったショッピングモールの南大街!そこの入口にスタバがあった。
あの頃はまだ北京や上海以外ではスタバは高級品扱いだったし、そもそも珈琲を飲む文化が
そんなに浸透していたなかったので、いつ行ってもガラガラだった。だから当時の私は
南大街のスタバがなくなってしまわないか心配していた。
あらためて見ると、どう見ても田舎の町という感じだけど、当時の私には
「スタバ!!」「ハーゲンダッツ!!」「SK-Ⅱのポスターがあるっ!!」と絶叫したく
なるぐらいの感動だった。
さらにオメガがcoming soonだなんて、常州すごーーーい!という具合だった。オメガは
今でも気軽に買えないけど、そういうお店があるというだけで「はぁ、都会に出てきたん
だなぁ」と思えた。
この整備された道を見ただけで、「北京や上海以外にもちゃんと舗装された道路が
あるんだな。。」と思った。
バスと呼べるレベルのバスが走っていたことにも感動した。
とにかく、感動しっぱなし。
あの頃が懐かしい。ただただ懐かしいです。
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